サーバー室にもなっている家の納戸がごちゃごちゃなので、息子たちと片付けを始め、壊れた椅子を粗大ごみで捨てにいくことになった。そのとき、この間新橋の小料理屋がなくなるという話を書いたあとだったので、ふとあるひとのことを思い出してしまった。
新橋の烏森口からちょっと行ったところにTという小料理屋があった。おばさんがひとりでやっている店で、ぼくはもうかれこれ15年ほど前に会社の先輩につれていってもらってから、時々寄っていた店です。けっしてきれいなところではなく、むしろきたないと言ったほうがいいかもしれないところだが、気さくな感じで気に入っていました。そこによく来るお客さんでHさんという、もうその当時80歳近くになるおじいさんがいました。ほとんど一人で来るのですが、たまに呑みすぎたときなど家族が心配して連れにきたりしますが、その歳でもしっかりして、ぼくもひとりなので隣合わせになったりするといろいろ話をしてくれます。
Hさんは、自分でH製作所という椅子を製造する会社を起こし、今は子供にその会社を任せて、まあ引退しているわけです。しかし、しょっちゅう会社に顔を出して、あれこれ言うらしいのです。ですから、若い人から煙たがられていて、どうもその鬱憤をはらすために呑みにきているらしく、いまの若いやつはなってないと嘆いてはまた一杯というわけです。
ただあるとき、何がきっかっけだったか忘れたが、実に面白い話をきくことができました。Hさんの会社は、高級な椅子や特殊な椅子の製作では腕がいいという評判で、そういう注文が来る。例えばの話として、船の船長の椅子って作るのが難しいがどこが難しいかわかりますか、難しいのは、足の長さなんだそうです。船の甲板は水平ではないんですね。傾いているんです。だから、座ったときに平らになるようおに足の長さを調節するのが難しいのだそうだ。この話がいい話ではありません。その後の話です。
あるとき、外務大臣も努めたかの有名な藤山愛一郎の家から注文があって、書斎で使っている椅子の張替えをしてくれといってきた。もちろんHさん自らが藤山邸に出向いて、実際にその椅子を見たとき唸ったのだ。”おお、この椅子はオレ作ったものだ”というと、周りの人はまさかという顔で、”えどうしてわかるの、本当かい”と答える。”絶対にこれはオレが作ったものだ、作ったオレが言うんだから間違いない”というわけで、実際に椅子をばらしだした。しばらくして解体が終わろうとしたとき、椅子の見えない支柱のところになんとHさんの名前が刻まれていたのだ。一同唖然として、さらにこれいつ作ったのか、するとHさんが20歳ころに作ったものらしいことが判明。ということは、30年くらい前のものでそれをずっと使っていたのであって、またそれを直して使おうとしていることにまた驚き。
そんな話を酔って呂律も回らなくなりながら語ってくれました。おそらくもう亡くなっていらっしゃると思いますが、本当に自分の仕事に誇りを持って生きた職人がだんだんいなくなっていくんだなあと寂しくなります。
