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「林住期」真っ只中

五木寛之の「林住期」を読む。

古代インドでは、人生を四つに分けて「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」と呼ぶ。五木寛之は、人生100年として25年区切りでみると、50歳から75歳までが「林住期」にあたり、この期間こそ、人間の一生のなかでの絶頂期であり、黄金期、収穫期であると言っている。そして、50歳でいったんリタイアすることを薦めている。

一般的な感覚では、50歳までが人生の絶頂で其れから先は余生で人生のオマケのような捉えかたをしてしまうが、そうではなくて50歳からは自分の本当に好きなこと、やりたいことをやることですばらしい人生となる。

意外だったのは、「林住期」を生きるためには、まず独りになることが必要だという。人間は元来群れをなして生きる存在で、夫婦、親子、家庭、地域、会社、クラブ、学友、師弟その他もろもろの人間関係が周囲にひしめいているが、その人脈、地脈を徐々に簡素化せよと説いている。自分ひとりで生きるために生きるということだろうが、ほんとうにできるだろうか、さびしくないだろうか、確かに最後は孤独の中で死んでいくのだと思うのだが。

50歳から楽しもうと言われても、問題は人間のからだは50年経てば“がた”がくるということだ。昔は人生50年と言われていたわけだから、それを薬や医学が延ばしているだけで耐用年数は50年なのではないか。いくらオーバーホールしても戻らないところが出てきて、若いときのようにはいかないのだ。

ぼくは50歳をもうだいぶ越えて「林住期」真っ只中ですが、75歳まで生き生きと過ごすなんて到底無理なような気がする。ただ、ぼくは昔から理想の死に方をひとに言いふらしていて、70歳になってある朝孫がぼくの部屋を空けたら死んでいる、それを見て孫が「おじいちゃん、昨日まであんなに元気だったのに」という、そんな死に方が理想だと言っていた。で、この本を読んで「林住期」を何とか元気に乗り切って「遊行期」に入る直前の75歳にぽっくり行くことをめざそうと考えている。

それにしても、「大河の一滴」で次のようなことを言っていた五木寛之がずいぶん変わったような気がする。

前向きに生きることは悪いことではない。プラス思考でおのれを励まし、人間性を信じ、世界の進歩を願い、ヒューマニズムと愛をかかげて積極的に生きることも立派な生き方である。
しかし、一方で現代の人間の存在そのものを悪と見て、そこから出発する生き方もあるのではないか。その真っ暗闇の虚空に、もし一条の光がさしこむのが見え、暖かな風が肌に触れるのを感じたとしたなら、それはすばらしい体験である。まさに奇蹟のような幸運であると思いたい。

こりゃどういうことなんだろう。多分、五木寛之自身も確か74歳だと思うが、その歳まで生き延びて、そしておのれの「林住期」が良好であったという実感をもてたからではないだろうか。


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2007年05月15日 18:13に投稿されたエントリーのページです。

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