大学のサッカー部の同期4人と渋谷で呑む。そのうち一人は何と40年ぶりである。もう一人もそれに近い年数が空いている。
同期は、ほんとうにすぐにやめたヤツを除くと15人いる。そのうちの2人が亡くなっている。一人は若いときにイラクかイランだったか仕事で中東にいたとき車の事故で死んだ。
もう一人は6年前に多発性骨髄腫で亡くなってしまった。その6年前に死んだヤツの葬式の帰りから、同期会がスタートした。毎年そいつの命日近くに皆集まって呑むのだ。だがそのときに連絡がついたのは8人で、そのあと東京に転勤になったやつが加わって9人になった。
ところが、ひと月ほどまえから、サッカー部50年誌をつくろうという声があがり、各年代で名簿をそろえることになった。ぼくはその名簿委員になったこともあって、消息が途絶えていたやつを必死に探したのだ。何とか残りの4人のうち3人までを探し当てたのである。
そして昨日はそのうちの一人がたまたま仕事で広島から上京してくるというので空いているヤツを誘って会ったのである。この広島から来たヤツはいまだにサッカーを続けていて何と広島県サッカー協会の理事をやっていた。
最初に見たときは、いったいこいつは誰だと思ったのだが、それもすぐに学生時代の面影とダブリながら。おおあのときのやつだとなる。40年の歳月がいっきに隔たりを亡くした瞬間である。
それからは、あのころの話で大いに盛り上がったのである。ぼくらは全共闘時代の子だから、学校でろくに授業がなかったので、学校に行かないでバイトと仕送りで優雅な生活をしてたなんて話になる。まあ、新規参入組の二人はともに留年しているのであまり勉強の話はしない。
いまや、ぼくらは定年か定年をまじかに控えているせいか、ギラギラ感が失せ、ひとのいいおっさんになっているようだ。
いよいよこれからは名刺の関係性から違ったお友達との交流が始まっていくのだろう。
