前に大学時代の部活のOB会で昔の写真を見ながら話に花が咲いたことを書いた。もう40年も前のことだから、本当に写真が好きでまめな人がいて、その人のおかげで写真を見ることができているのである。
いまだと、デジカメや携帯で誰でもが気楽に写真をとる。デジタルだからセピア色にもならないし、場合によっては動画で残すこともできる。これから40年後はそうして今と同じ写真や動画が再現できることになる。そうなったときなつかしさとか時の流れを感じることができるのだろうか。
写真に限らず、そのOB会でも文集がでてきたのだが、わら半紙に書かれていて、ホチキスをはずそうとすると紙が崩れそうになるくらいぼろぼろなのだ。だが、そういうものだからなのか、過去の情景がその紙のぼろぼろさとともに甦るよう気がした。
先週、高校時代の友だちと桜木町で呑んだ。こいつは映画好きで今年に入ってもう50本近く観ている。さすがのぼくもかなわないフリークです。もちろん、映画の話が主な話題になるが、映画以外の話で面白いことがあった。
彼は、ほぼ定年で関連団体に移ってそこで仕事をしているのだが、まえのところを辞めるときのことである。退社するときってたいていは餞別として記念品をもらったりしますよね。その記念品を何にするかというとき、そいつはいつも記念写真をとってもらうのだそうだ。
しかも、ちゃんとプロの写真屋を頼んで一緒に働いた人たちときちんとした服装で撮るそうだ。できた写真を皆に配ってもっていてもらうのだという。これには感心した。もうぼくは残念ながらそういう機会はないと思うが、そうやって残しておけばよかったと思った。
節目の写真は写真屋に撮ってもらうというのはなかなかいいもののようだ。ぼくにはまあ、結婚式と子供の七五三のときのものはあるのだが。
「転々」という映画のワンシーンで三浦友和が、街の時計屋さんがでてきて、その主人にどうやって食っているのかと聞いたら、大きなお世話だと言われて蹴りを入れられる。
きっと街の写真屋さんは、節目の記念写真がいいというお客さんがいる限り続いていくのだろう。
