「ジェネラルパーパス・テクノロジー」(野口悠紀雄、遠藤諭著 アスキー新書)という聞きなれない言葉の本を読む。ジェネラルパーパス・テクノロジー(GPT)というのは一般目的技術とか汎用技術と訳されるが、産業横断的に使用され、さまざまな用途に使用しうる技術のことである。
具体例では、電力・電気とか内燃機関といったようなものをさす。そしてこうした技術は不連続的な大変化をおこすが、その効果があらわれるまでに時間がかかるという特徴がある。この本では、ITがそういうGPTになったという論旨である。
いくつかのポイントがあって、いずれも共感できる指摘でうなずくことが多かった。その中から何点か挙げてみる。
まず、「日本型組織が新しい情報通信技術であるITに適合できない」という指摘である。特に年功序列という日本型組織はITと相容れないところがある。
このあたりの話ですごく面白いのは、イギリスとの対比である。1980年代というのは日本は飛ぶ鳥を落とす勢いであったが、イギリスは経済不調であった。そのとき、「イギリスでは、蒸気機関車の罐炊き手が、用もないのに電気機関車に乗務している」と言われた。日本の場合だと、組織内移動で対処していたわけで、生産性が高く保てた。
ところがその当時は強みであった日本型組織がいまや障害でしかなくなってしまい、いまの日本の不調をもたらしているというのだ。要するに年寄りはITに対する抵抗感が強い。そんな連中がいる限りITの導入や活用が進まないというわけだ。
先日のカリフォルニア州立工科大学の一色教授の話じゃないが、日本の経営者のITに対する理解もぜんぜんだから、遅れをとるのに十分な環境である。
そして、経営とITとの関係について本書では、「日本の情報システムが古いままなのは、日本の企業が変わらなかったから」なのか「日本の企業が変わらなかったから、日本の情報システムがふるいままなの」って問いかけている。これは多分誤植で、本当は最初の文章は、「日本の情報システムが変わらなかったから、日本の企業が古いままなの」ではないでしょうか。そして新生銀行の例を引いて後者面のほうが強いと主張している。
ということは、経営が変わらないと最新のITを使ってもらえないということなのだろうか。むしろ、ITで経営を変えられないかと思うが無理なのだろうか。
それから、電子政府についてもぼろくそである。「日本の電子政府は「おもちゃ」である」とまで言っている。しかし、それは事実だから反論のしようもないのではないでしょうか。
これからの方向性として、グーグルとNTTとの対比の中でユーザ中心主義を徹底した企業しか生き残れないと言っていた。
いろいろいっぱいか書きたいことがあるのだが、最後に、著者が本についてのインタビューに答えていたことを書く。
ITに対して敵対心を持つかどうか。これが重要です。私は、それを「側理論」と呼んでいるのですが、ITは「自分の味方」なのか、それとも「敵」なのか? どちらと考える人が多いかで、日本社会がITに適応できるかどうかが決まります。私自身は「ITは私の味方」だと思っています。大組織にいる人に比べ て、私は、いままで情報処理において圧倒的に不利だった。それは、有能な部下を使えないとか、大型コンピューターを自由に使えないとかいうことのためです。しかし、そうした格差が、ITの進歩によって、まことに有り難いことに縮小した。いまは、大組織内にいる人に比べてあまり差がない。だからこそ、ITの進歩を有り難いと思っています。
野口悠紀雄のような影響力のある人がこういうことを発信してくれることは非常に大事なことだ。日本の経営者にこそこの本に書いてあることをよく理解してもらいたいものだ。
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異質な観点から見た、「IT社会論」
日本のIT業界の現状および今後の方向性について鋭く指摘しています。
見事にITの本質を切り出している

