普段自宅で仕事をしているのに夏休みもないが、一応今日から17日まで夏休みということにする。休みといってもお盆なので本家の新盆に招かれたり、御施餓鬼に行ったりとけっこう忙しい。
そんな中で北京五輪の真っ最中ということで、少しばかりオリンピックについての話を書くことにする。
まずは、ちょっと遅くなったが北京五輪の開会式について、ちょっとやぶにらみ的なことを書く。
今回の開会式が良かったという人が多いのか評価はよく知らないが、ぼくはよくぞここまでやれるなという感じがあるが、大いに感動したというわけではない。もちろん一糸乱れぬ演技や、歴史絵巻はすばらしいと思う。
ただ、素直に感動はしなかった。あれを演出したのが「初恋の来た道」を監督したチャンイーモウだとは知らなかったから余計にもうちょっと何とかなったのではと思ったのだが、今回の中国における五輪の意義としては十分役目を果たしたのではないかと思う。
ところがぼくがもっとも感じたことは、入場行進のことである。2百数十カ国の選手団が入場してくる。その中にはぼくが全く知らない国がたくさんあって、特に中米やアフリカに多いののだが、かれらは人口では日本のひとつの県の人口ぐらいしかいない国でもオリンピックに出場してくるのだ。
それもあたりまえだが、堂々と自国の国旗を掲げてと登場なのだ。そこでぼくは思ったのだ。中国の少数民族の人々がそれをどう思ったかである。
開会式の式典での中国国旗入場で、50いくつかの少数民族の何も知らない子供たちがつくられた笑いを振りまいていたが、これはぼくの40年まえのシーンとダブってくるのだ。
その当時、中国当局の人たちは、なにかにつけ私たちは少数民族とうまくやっていますよというアピールを随所で展開していて、ぼくら招待所にも少数民族の音楽団が来て演奏していった。裏を返せば、そうした懐柔策を弄さなければあぶないという状況は昔からあったということだ。
で今回の開会式の話に戻ると、ぼくが少数民族の一員であったらあの開会式はすごくうらやましかったに違いない.
自分たちの国を認めてもらいオリンピックに出場したいという気持ちがすごい強くなったのではないだろうか。
チベットや新疆ウィグルの問題をみたら、はるかに少数の民族が自分の国の国旗を誇らしげにかざしながら行進する姿はいずれわれわれもと思ったことだろう。こうした事実を、目の当たりにした今、中国でさらに独立運動が高まっていくように思える。
あのすばらしい開会式に感動するよりも、国威発揚が少数民族には裏目に出るかもしれないなあとふとそんなことを考えてしまった。
