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五輪ばなしその2

ところで「五輪ばなしその1で開会式の国旗入場のときに旗のまわりにいたこともたちが少数民族のこどもたちではなく、みんな漢民族の子だったらしい。こりゃひどい捏造だ。確かに、本当のウィグル族やチベット族の子だったら、その子らは同族からいじめにあってしまうかもしれない。どうも他にもやらせみたいなことがあったようだが、このあたりは昔とかわっていない。

さて今回は簡単に負けてしまった男子サッカーのことについて書く。

グループリーグの相手は皆強敵でやすやすとは勝てないのはわかっていたが、それにしても欲求不満の残る結果となった。なぜそうなったかというと緒戦のアメリカ戦の敗戦が大きい。あそこでもう少し違った戦い方をしていたら結果は違ったものになったかもしれない。

だからといって、ナイジェリアにやったサッカーをなぜ緒戦のアメリカ戦でやらなかったのかと言う人もいるがこれも難しい。大きな大会での緒戦の戦い方と言うのはほんとうに難しい。

それこそ甲子園でもそうだと思うが、強豪といわれながら力を出し切れなくて緒戦で去っていったチーム、選手が多いこと。それは精神的なコンディションの問題が大きくて、結局、普段どおりにやらなくてはいけない冷静さと熱く燃えなくてはいけない情熱との両方を持ち合わせなくてはいけないというかなり高度な精神コントロール力が要るということなのだ。

どちらか一方ならできないことがないが、両方をバランスよくできるかが非常にむずかしいのである。だから、そこのバランスがちょっと崩れ、その崩れが逆に作用したら、いくらでも番狂わせはおきる。

結果論ではあるが、ナイジェリアとの戦い方をすれば勝ったか引き分けであったと思うがそううまくいかないのがオリンピックである。

いま緒戦の話をしたが、さらにそれぞれの試合の選評をしてもおもしろくないので、「本田圭介的な存在」について考えてみる。

最終のオランダ戦のあと、監督批判ともとれる発言をして少しばかり物議をかもしたようだが、ああいう存在の良否についてである。ああいう存在とはどういうものかだが、歯に衣着せぬ物言いと遠慮しない直截的な批判、しかし、力があるから、まわりは文句が言えない。

こういう存在はどこの世界にもあって、会社でもありますよね。ぎゃあぎゃあうるさいけどできるやつだからそいつの言うことを聞かざるをえない。

こうした場合はどんな影響がでるかだ。単純に監督批判となり監督が嫌気をさすということも考えられるが、これが一匹狼のようであれば切ればすむ。しかし、やっかいなのはけっこうシンパがいたりすることで内紛になるからである。

かなり、勝手な推量で言っているので当たっているかどうかわからないが、今回のチームの問題点はここにあったように思う。ずばり、本田圭介をチームに残したことである。

別に彼に恨みがあるわけではないが、日本のチームであること、サッカーという競技を考えたとき個人の能力以前の問題として、反町は切るべきであったのだ。平山を切ったのになぜ本田を切らなかったのか?こういう選手を使いこなせるのはカリスマか外国人監督だけである。

だいぶ前のブログでも指摘したのだが、平山の体を生かせない甘い精神力と本田のスピードのないちんたらプレーは日本サッカーの目指すものと違ったはずだ。だから、かく乱要素としての存在とチーム戦略に合わないプレースタイルの彼を使い続けたことがぼくには理解できなかった。

ひょっとしたら反町は水本のキャプテンシーより本田圭介の影響力を使ってチームを掌握しようとしたのかもしれない。
 

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2008年08月16日 09:50に投稿されたエントリーのページです。

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