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時が滲む朝

第139回芥川賞受賞作は、楊逸(ヤン・イー)の「時が滲む朝」に決まった。外国人作家の初めての受賞である。日本語の壁がありながらそれを越えて受賞ということで立派なものである。おめでとうと言いたい。

どうも、この受賞には賛否両論あるようだ。賛のほうは、いまの日本にはないようなまじめな青春、そして挫折といった世界を描き、そこに対するどうしても書かなくてはいけないという強い思いが感じられるというようなことだ。

否のほうは、まだ日本語が稚拙なところがあったり、荒削りで風俗小説の域をでていないとかいった論調である。

たしかに、取り上げられたテーマが中国民主化運動に参加した若者がやがて挫折していくというかなり大きなもので、最近の芥川賞では日常的で私的なテーマが多いのとはずいぶん異質である。それゆえ、そうしたテーマをどう料理したかということでの評価のちがいなのだろう。

それと選考委員の誰かが言っていたが、これは長編で書くべきものだということで、ぼくも読みながらそう思った。というのは、物語としては長いスパンでそれぞれにエピソードもあるので、短い中では追いきれない、書ききれないという結果になっているように思えたからである。

とはいえ、ぼくはこの作品は割りと評価している。日本語が稚拙だといっても、最近の受賞作の中には、これが日本語化というものもあったし、ぼくの低い読解力ではちょうどよかった。

さらに、この小説のなかに登場してくる昔の中国の姿が懐かしく思えて、感情移入が強かったこともある。ぼくが中国に初めて行ったときは、まだ文化大革命が終わっていなくて、下放ということがよく言われていて、右派と決め付けられると遠くの寒村に追いやられていくという話しをよく耳にした。

そして、1988年の天安門事件である。もう20年も前のことになるんですね。あの民主化運動は一瞬にして消えていったが、その内状がわからなかったが、この小説でほんの少しだけわかった。

ただ、まだまだいろいろなことがあるはずなのでこの作家には書き続けてほしい。中国人が日本語で中国の民主化運動のことを書くなんて信じられないことなのだが、この20年ですさまじい勢いで変化している中国社会であるからといえる。それは違った意味である種の民主化がおきているのではないのだろうか。

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2008年08月18日 09:59に投稿されたエントリーのページです。

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