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イントゥ・ザ・ワイルド

この映画にはいろんな要素が詰まっている。さすがショーン・ペンはすばらしい才能を持っている。

「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画は、裕福な家庭で育った若者が、大学を卒業した途端、放浪の旅に出て、アラスカの山の中にある“不思議なバス”に辿り着くところから始まる。そして、なぜそんな旅にでたのか、そこまでの2年間をどう過ごしてきたかが語られる。

このタイトルを見てぼくらの世代がすぐに思い浮かべるのは、五木寛之の「青年は荒野をめざす」であり、同名のザ・フォーク・クルセダーズの歌である。ここではジュンという青年が欧州へ旅立つ話であるが、流れる基本のところは同じような気がする。

誰もが一度は経験しただろう、抑圧、既定路線、偽善などから開放され、自由に孤独に放浪してみたいという欲求である。少なからずの人はそうして“小さな”放浪の旅をする。もちろんぼくだって、海外はいけなかったが国内を一人であてどなく旅したこともある。

さて、この映画の物語は、いつの時代でも普遍的な若者が旅立つときの揺れを描いている。ただし、だいぶ過激だ。そして、旅の途中でいろいろな人と出会う。ヒッピーが登場してびっくりしてしまうのであるが、その人たちと交わっていくうちに成長していく姿が描かれている。

最初にいろんなことが詰まっていると言ったが、「人間と自然」というテーマもあり、自然の前には人間は無力だなんて陳腐なことはいいたくないが、やはり大自然の中では人間の存在ははかないものなのだろう。そいう自然に打ちのめされる姿も映し出される。

この映画の重要なポイントは、2年間の放浪を経て憧れのアラスカに着いて、その間に様々な出会いや経験をつみ、これから生きていくのに自分ひとりではなく、周りの人たちがいてこそ、自分も意義のある人生が送れることを悟った瞬間、孤立から免れることができなくなり悲惨な最後を迎えるという皮肉な結末である。

こういう終わり方をしたというのがショーン・ペンのすごさである。

ところで、見終わってちょっと気になることがあった。なぜ、主人公はサバイバルできなかったのかということである。途中で出会う老人からたもやつり道具をもらうという伏線があったので、てっきりそれを使って自給生活をするものとばかり思っていたら、それを使うところもでないで飢えてしまった。

単純に熊が生活できるんだったら人間だって生活できるよなと思ってしまう。ということはおそらく彼は自ら命をたつことを望んだのだ。だって、もし、例えば、飛行機かなんかがそこに不時着して一人取り残されたとすると、きっと自活しながら、脱出したはずだ。生きて帰りたい気持ちが強ければ可能だ。

きっとほんとに悟っていなかったのだ。どうしても戻りたいと思っていなかったのだ。じゃあ、アラスカに行くことだけが目的だったのか。うーん考えさせられるなあ。

これはいい映画です。いま若い人も、昔若かった人も若者がある清算をして大人に変わっていくときの不安や期待とどう戦っているのか、いたのかをみつめるいい機会になりますのでぜひ観てください。
 


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2008年10月04日 15:27に投稿されたエントリーのページです。

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