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遊び場

鎌倉といっても田舎に住んでいたのでそのあたりの話になる。昨日も、モノレールの大船駅で深沢地区鎌倉統合60周年という垂れ幕がかかっいた。そうなんです、ぼくが住んでいたところは、ぼくが生まれたときから、やっと鎌倉と呼んでもらえたところなのです。

ここからの話は、別に鎌倉に限った話ではなく、当時の日本中どこでもあった話のような気がする。遊ぶところはどこにでもあった。ぼくが住んでいた頃の遊び場は、たんぼと畑と山林と川と海である。そこで遊んでいた。

じゃあ、そこでの遊び方ってどうだったのか。まずは、田んぼですね。前から都会に住んでいる若い人は田んぼなんか、小学生のときの体験学習ぐらいかもしれないが、ぼくらは家の周りは田んぼだらけであった。いまは田んぼを探すのに苦労するが。

そこが遊び場であった。田植えをしたら、そこに蛙やザリガニ、どじょうなどが集まってくる。そこで蛙を捕まえて皮を剥いでそれを餌にザリガニを釣るのである。この話は前に書いたかもしれないがもう一度書く。

ぼくらがこうしてザリガニ釣りをしていたら、横で見ていた外人の子(当時は近くに進駐軍の家族が住んでいた)が、家に跳んで帰ったのである。しばらくすると何か大きなかたまりを手にしている。それをどかっと置いたのでよく見ると肉のかたまりなのだ。

こっちはびっくり仰天である。肉なんてめったに食べれないし、こんなに大きなかたまりも肉屋でしか見たこともない。外人の子はその肉をちぎってザリガニを釣りだしたのだ。おいおい、ザリガニに食わすくらいならオレたちにくれと叫んだのであった。

どじょうを取るのは寝込みを襲うのである。カンテラをさげて夜中に寝ているどじょうをもりでさして捕まえるのだ。

夜中に寝ているどじょうをもりでさして捕まえる話も書いたのでここではもう書かない。田んぼは稲刈りのあとの冬にそこで野球をしたり、飛行機をとばしたり、氷が張るとスケートをするのである。転んでも痛くないから縦横に走りまわれる。もちろん泥まみれになるが。

山にもよく行った。山といったって低い丘のようなものだが、こどもにとっては高い山である。そこに隠れ家を藤の蔓を使って木の上に作るのである。そしてターザンごっこである。カブトムシやクワガタもよく取った。どこにいるのか決まっている。

でも山は蛇や蜂に気をつけないといけない。桑の木に登って実を採って食べていたら、蛇に首を巻かれて木から落ちたことがる。棒で草むらを叩いていたら、蜂に襲われた。逃げても逃げて追いかけられて数箇所刺された。すぐにおしっこをひっかけたがだめで、腕がはれ上がりしばらく病院通いをした。

次は川の話である。家の前に小さな川があった。これもこども心には大きな川である。そこでは釣りや手作りのボートに乗っての舟遊びである。この川は、農業用水にもなっていて、春から夏にかけて堰止めをして水を張るのである。そのときに釣りやボートで遊ぶ。

で田んぼへの水張りが終わると、その堰をいっせいに外す。この日は一大イベントである。なぜかというと、水をたたえた川が一気になくなってしまうから、魚どもが手づかみで採れるというわけである。お目当てはうなぎである。この時期になるとよく油の乗り切ったうなぎを食べたものだ。

川は楽しいものだけではない。危険なものでもある。台風で何回かあふれたこともあるし、自転車の練習をしていてそのまま自転車ごと浅くなった川に落ちたこともあるし、弟がおぼれてすんでのところで助けあげたこともある。

さて、最後に海であるが、ぼくのうちは鎌倉でも海にはそれほど近くはない。さすがに歩いては無理なので自転車かバスである。由比ガ浜か江ノ島東浜である。夏になるとしょっちゅう出かけていき真っ黒になる。しかし当時は海水浴客も多く、何よりも海が汚かった。

そういえば、鎌倉カーニバルというのがあって、それを見に行くのも楽しみであった。もちろん、その頃はサーフィンなんてやっていなかったが、波乗り板というのがあって、今でいうボディーボードというやつでそれで遊んでいた。普通はそんなに波が荒いわけではないので、台風がきそうなときをねらっていくのである。ところが、これも楽しいことばかりではなくて、弟の同級生がおぼれて死んでしまった。それから、波が高いときに海に行くことを禁じられたのは言うまでもない。

今だと、危ないことはやってはいけないとすぐになるが、昔はあまり言われなかった。だいいち、少しぐらい危ないことのほうが面白いに決まっているのだ。だから、今の子供たちがかわいそうに思うのである。

ところで、こども遊び場に学校の運動場も付け加えたほうがいいように思う。それだけ、校庭でよく遊んだものだ。ぼくの家は学校からすぐ近くだったので、学校から帰ってランドセルを放り投げるとすぐに学校の運動場に行った。

何をするかというと、もちろん鉄棒などの遊具があるから、それで遊ぶというのもありだし、砂場で空転の練習をすることもある。空転というのは空中転回ということで、手を付かないで前方に一回転することである。これができるかできないかでクラスの中での評価が違う。このころ評価を得たいと思うと、かけっこで一番か、いまの空転ができる、跳び箱を一番高く跳べる、蛇をつかめる、相撲が強いといったことで勉強ができなくてもちゃんと尊敬される手があったのである。

またまた今と比較してしまうが、今は学校の運動場で遊べないのではないのか。それこそ変なやついて危険だからとなっているのではないだろうか。もちろん、ぼくらの時も変な大人がいたけれど、それは犯罪につながるような怖さではなかった。だから、夕方暗くなっても遊んでいて、近くの家のお母さんが「ごはんだからもう帰ってきな」という声とともにみな家に帰るのである。そういえば、塾もなかったなあ。
 

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2008年10月23日 10:00に投稿されたエントリーのページです。

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