小学校の時の先生で一番印象に残っているのは、3~5年の受け持ちだったK先生である。1年と2年は女の先生で、6年は年寄りの男の先生であった。その3人の先生もすごくいい先生で、よく覚えているが、やはり期間も長かったこともあってK先生のことを語ろうと思う。
K先生の専門は理科で、僕はこの3年間で理科系の道を歩むことが決まったのだ。植物や昆虫のこと、いろいろな実験を通して理科の面白さを知ったのだ。
このころのぼくの必携は、植物図鑑に昆虫図鑑である。牧野富太郎監修の折りたたみ式の植物図鑑はお気に入りで、野山を走り回るときも持ち歩いていた。そして、ファーブル昆虫記とシートン動物記がそばにあった。
4年生のとき、K先生に連れられてNHKテレビに出演したことがる。「はてな劇場」という理科の番組で、先生の知り合いが番組のスタッフであったようだ。ぼくたちのクラス全員が出演して、理科の実験や観察をしながら問題が出て、それに答えるという趣向である。
何とそのときの司会が黒柳徹子だったのである。問題が二つ出るのだが、ひとつは蛙の卵を見せられてこれはなんという蛙の卵でしょうという問題であった。これは、クラスのほとんどが手を挙げて、そりゃそうですよねいつも捕まえて遊んでいたんだから、S君という男の子がトノサマガエルと答えた。
もうひとつは、ジェットコースターみたいな仕掛けにビー球をころがせた実験で、答えは加速度だったのだが、誰も答えられなかった。理科少年のぼくとしては、すごくくやしい思いをした。
K先生はこうして、ぼくたち子どもたちにすごい愛情を注いでくれた。そこでは、勉強ができる子もできない子も、体の強い子も弱い子も分け隔てなく接してくれて、クラスはファミリーのような雰囲気が作られていた。
M君という子がいた。山の中の一軒家に父親と暮らしていたので学校を休みがちであった。先生はぼくたちに給食のパンを持ってその子の家に行けという。そここで、ぼくたちは何回かに分け数人ずつで訪ねていった。それからしばらくするとM君もやっと心を開いてくれて学校に来るよううになった、そんなこともあった。
そして、K先生はぼくらの憧れだった保健のS先生と結婚したのだ。その結びつきを作ったのはぼくらだと思っている。
ある夏の日、そんな素敵な先生同士の新婚家庭に招かれたのである。家が鎌倉の材木座だったので海水浴をして、お風呂に入れてもらい、夕食にカレーをごちそうになったのだ。ここでもカレーだ。
今でもあのころの教室や校庭の情景が浮かんでくるが、のびのびとそして自然のすばらしさに驚き、学び、成長したからこそ今があるような気がするのである。
