いま「極私的年代記」を書いているが、昭和の時代のことが懐かしく思い出されるわけで、そんなときに「本と映画と「70年」を語ろう」(鈴木邦夫、川本三郎著 朝日新書)を手にする。
この二人は、ぼくより若干年上であるが、ほぼ同時代を生きてきた人たちである。鈴木邦夫は一水会という右翼団体を創設した人で、一方の川本三郎は元朝日新聞の記者で全共闘シンパの左翼である。この二人が語っているのである。
右翼と左翼が仲良く対談というのも変だが、ぼくらは意外と違和感がない。例えば、全共闘とヤクザ映画とか三島由紀夫を評価する左翼活動家とかけっこう反体制という根っこで共感している部分があることを皮膚感覚で知っているからである。
前半はお互いが事件にまきこまれて逮捕される話が中心で右翼のところはよく分からないが、川本三郎が「赤衛軍」のリーダであった菊井良治が朝霞の自衛官を刺殺した事件に関連して逮捕されたのは覚えている。
川本は当時朝日ジャーナルの記者で証拠を隠滅したという罪だった。朝日ジャーナルとアサヒグラフは左翼のシンパと見られ、ぼくら学生はよく左手に朝日ジャーナル、右手に少年サンデーという言われ方をした。
後半は、どちらかというと映画からみた昭和の時代について語っている。おもしろいなと思ったのはそのころの特徴的なこととして戦争の影がつきまとっていて、だから、映画でも戦争未亡人とか戦争で家族を失ったことがよく出てくるという話である。「三丁目の夕日」にもそういう人物が登場する。実はぼくらの周りにもそういう未亡人がいて、その戦死した弟と再婚したなんてことも起こっていた。
そして、昭和30年代をこう評価している。
鈴木:たしかに、トイレもそうだし、クーラーもなかったし、とてもじゃないけど住めない。でもなんか懐かしいな、あの頃はよかったなって思っちゃう。何なんでしょうね。あと子ども部屋ってなかったですよね。みんなが同じところで生活してた。川本:私はどちらかというと、国家という大きなものよりも、街とか個人とか、なるべく小さな単位でものを考えようとしている人間なんですが、昭和30年代って、わりと小さなものが大事にされていた時代じゃないかなっていう気がする。駄菓子やとか紙芝居に象徴されるように、小さいものが大事にされていた。国という単位でものを考えると、「悠久の大義」だとか、大きな歴史というものが出てくる。でも個人単位、街単位で考えると、記憶なんですね。私は歴史より記憶を大事にしたいのです。
なるほど、記憶ですか。それならぼくはばっちり覚えていますよ。それとぼくらの子ども頃は世界が小さいなかにいた。だからその中でいきていたことがすごく心地よいのである。
いまのようにグローバル化ということかもしれないが、大きな世界の中にいると、嫌なことだとか耐えられないことが知りたくもないのに土足で入ってくるのである。例えば前にも書いたが、知りたくもない犯罪のニュースが入ってくる。この本にも書いてあったが、昔も同じように凶悪な犯罪もあったが、それが伝わってこなかっただけなわけで、昔は安全な社会だったと単純には言えないのである。
でそうした要らない情報まで入ってくるような大きな世界に嫌気がさすと昭和はよく見えてくる。あの頃は良かったと言い出す。でもあの頃だっていいことばかりではないが、そんなことは忘れてしまうのですね。まあ、久しぶりのクラス会で思い出を語っているような本である。
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「70年」へのシンパシーと、かすかな後ろめたさ……
70年代前半の熱気の一面を伝える
川本三郎を肴に鈴木邦男が語る1冊と言った印象。

