« 「粋」ということ | メイン | 私家版業務システム変遷史 ― 1995年 »

ドキュメントはブレーキになる

自分で言うのもなんだが、何やらわけのわからないタイトルである。最初は、ウオーターフォール開発とアジャイル開発の比較みたいのことを書き出したら、いつの間にかドキュメントのことがひっかかってきて、それは、開発方法のことだけではなく、生産システムや業務プロセスのところにも関係すると思われてきて、じゃあいっそのことそのドキュメントについて書いてみることにしようと思ったのである。

しかし、出だしは開発のところからになる。情報システムの開発方法で昔からのウオーターフォール開発とアジャイル開発というのがある。この2つを比較する場合、字句をあげつらうようだが、この2つは対立軸が違う言葉であるので、そのまま対比させるのもおかしい。

アジャイルの反対は、SlowとかDullとなるし、ウオーターフォールに対比させるならイテレーションということになる。そうなると、“俊敏”な開発はイテレーションだけかという話になってしまう。

だから、そんな比較をしてもしょうがなくて、どんなやり方でもいいから、“俊敏”な開発ができればいい。
これと似たようなことが生産ラインにもある。ベルトコンベアー方式とセル生産方式がそれにあたるかもしれない。

仕事でも、逐次的に流すものとプロジェクト的に完結させるようなタイプがある。要するに、定型化されたフロー型と非定型のストック(情報共有)型にわけることができると思っている。

それで、これまでの世界では、どうも前者の定型化されたフローで処理していくやり方が主流であったといえる。前の処理が終わると次の処理に回してという流れ作業である。これは、前述したように、システム開発のみならず工場の生産方式、会社の中の業務処理もみな共通しているやりかたである。

それは、もともと分業という考え方で、各自の役割をきちんと決めて、ひとつづつ着実に歩むことが、よい結果を生み出すと考えられた。しかも、それが効率的だとみなされていたのだ。

それは、環境変化のスピードが遅い時代であれば、そう言えたかもしれないが、現代のようにめまぐるしく変化する時代では足手まといになりかねない。

なぜ非効率なのでしょうか。ここでその象徴的なものとして「ドキュメント」(ここでは紙のドキュメントを言います)の存在について考えてみましょう。

流れ作業や逐次フロー型の処理では、各々の工程間をつなぐものとして、仕様書とか手順書、伝票といったドキュメントがある。そこに情報を埋め込んで次の工程に伝達する。それが問題になっているように思えるのだ。

このドキュメントを作る手間もけっこう大変なことは誰しも経験することではないでしょうか。しかも、どんどん変化していくので、その都度変更をかけていかなくてはいけないのだが、そのうちメンテできなくなり、いつの間にかインフォーマルなメモが横行したりする。

さらに、情報伝達が正確にいくかという問題もついてまわる。書き物ではその行間を伝えきれないのである。こうしたドキュメントが俊敏性や効率性を損なっているように思えませんか。

一般的には、ドキュメントをきちんと書くことが大事だと教えられる。そうなのだろうかと思うのである。もちろんそれは正しい意見であるが、ドキュメントがちゃんと機能するための労力とその効果が見合うかどうかということだ。一生懸命作ってもあまり使われなくてがっかりすることも多いのである。

それと、ここで言っているドキュメントは情報伝達のためでしかないのであって、最終成果物ではないということにも起因していると思う。例えば、システム開発の最終成果物はプログラムであり、プログラムというドキュメントが重要でそれが実相をあらわしている。ですから、そういうものは本当にきちんと間違いのないものを作るのである。

こうしたことを考えると、ドキュメントを媒介にした定型逐次型では、システム開発も生産システム、業務プロセスも限界があるように思える。

個人プレーのつながりでは、スピードと変化対応力が担保できないのだ。個人ではなく組織とかチームとして機能させるほうが効果を生むことができる。その場合、紙としてのドキュメントではない違った情報伝達の媒体をもつ必要がある。もちろんそれは電子化されていて、スピード感がある情報伝達、情報共有ができるようにすることだ。それが、例えばWebサイト上のコンテンツでもいいのである。

さて、ここまできておわかりのように、紙のドキュメントを使う処理では、ドキュメントが“ブレーキ”になってしまうということなのだ。ドキュメントを介した情報伝達のところでスピードが鈍ってしまうのだ。

ただし、だからといって全面的にやめろと言っているわけではない。早く走るにはアクセルだけあればいいというものではない。ブレーキがあってこそアクセルを踏めるのである。紙のドキュメントに立ち戻ることもあるからである。ですから、いざという時のためにドキュメントがあるという意味である。

日本のある有名な会社では電子化システムと平行して紙の伝票を走らせるそうだ。もし何かあっても紙で仕事ができるようにとのことだそうだ。

確かに、ブレーキとしてのドキュメントは必要かもしれないが、紙は業務処理のスピードを抑えるわけだから、アクセルを踏みながらブレーキをかけたり、何度もブレーキを踏むようなことはやめたいのである。
 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://kamawada.com/~masanori/blog/mt/mt-tb.cgi/844

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2008年12月11日 09:47に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「「粋」ということ」です。

次の投稿は「私家版業務システム変遷史 ― 1995年」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type