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「粋」ということ

数日前に「「型」と日本人」という本を紹介したが、そのなかに江戸時代における「粋」ということに言及した。「野暮」との対比で江戸っ子の心意気を「粋」という言葉が代表していると書いた。

ぼくはこの「粋」という言葉が気に入っていて、自分も粋な男になりたいと思っている。

この間何か教育についてのテレビ番組でビートたけしが、これからは粋に行こうと思っているとか言ったら、同席していた石原慎太郎にたけしから毒を抜いたら面白くもなんともないとひやかされていた。

たけしのように、そろそろ老境に入ろうかという時期と江戸っ子であることが重なるとどうもそういう心境になるようだ。ぼくも最近とみに思うようになった。

ではこの粋という概念はどういうことなのだろうか。一番有名なのは、九鬼周造の「いきの構造」だろう。ここで言っている中で、「いき」の内包的構造として、媚態、意気地、諦めの3つをあげている。

媚態というのは色気である。これがなければ粋ではない。ぼくが、最近一番うれしかったほめ言葉はなんだと思いますか。よく、「男前だね」とか「笑顔がステキ」だとか「いい人ですね」とか言われるが(笑)、ある呑み屋のおばさんに「色気があるねえ」と言われたときには、飛び上がって喜んだ。だって、歳はとっていてもいちおう女のひとからそう言われればうれいいものだ。

意気地はわかりやすいが、諦めというのはどういうことなのだろうか。その中では、あっさり、すっきり、瀟洒たる心持ということだと書いてある。しつこいヤツはダメというわけである。

ぼくの個人的な定義は、何か一方的な心持だけを言うのではなく、バランスだと思う。清濁あわせ持つということでもないが、対立する概念をうまくコントロールできることのように思える。具体的にはちょっと似ていますが次のことだと考えている。

情熱と冷静
矜持と諦観
自信と謙虚

このバランスが崩れて、熱いだけのやつとか、何もする気のないやつとか、自信過剰なヤツとかいますよね。そこを、バランスよくコントロールできるひとが「粋」な人と思っている。早くそうなれるといいのだが。

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2008年12月10日 11:02に投稿されたエントリーのページです。

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