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こんなクラス会もある

昨日は、高校卒業以来初めてのクラス会があった。なんと、高校1年生の時のクラスのやつだ。ぼくらの高校は1年生が終わるとクラス替えがあって、その後2年、3年は持ち上がりでそのままである。ですから、普通クラス会というと3年生の時のことをいう。

この3年のときのクラス会は、今年の9月にやった。ところが、1年生の時のクラス会をやろうと誰が言い出したか知らないが、もうだいぶ前に通知があった。最初は、自分が何クラスか忘れているひとも多く、しかも印象がそんなに強くないので集まるのかなあと思ったが、幹事の執念のおかげか21人もの出席があった。

でもやはり最初に会ったときのには分からなかった。しばらくして名簿と照らし合わせながらああおまえかという風になる。3年の時同じクラスだったやつとサッカー部のやつくらいしか卒業後会っていないので、ほとんどがこんな状態だ。

しかし、時間が経つにつれて、高校生活が蘇り、みな当時のにきびづらの顔に戻っていったのである。21人が高校卒業してからどんなことをしてきたかをしゃべるから、一人平均10分くらいかかり、全部が終わるのに3時間半もかかってしまった。

しかし、それぞれの話が皆面白いのだ。とくに仕事の話ではなく、私生活のことがすごい。若いとき登山で遭難して、仲間が死んでしまい自分も九死に一生を得たという話がでたら、自動車でがけから落ちてちょうど木があってそこで宙吊りになって助かったとか、自転車で脱輪してこれまたがけから転落したとかそんな話が飛び出してくる。

そうかと思うと、高校のころからずっとひきこもりだったやつが延々30分くらい話出したり、築地の魚河岸で仲買人をやっていたやつとか、来年高校時代組んでいたバンドを復活させてコンサートをやるやつとかほんと面白かった。

どうして、1年生の時のクラス会をやることになったかというとそのときの担任の先生の影響が大きい。その先生は国語の先生でI先生といったが、ぼくらを担任したときはまだ34歳である。非常に優しくて厳しくてすばらしい先生で、昨日も異句同音に多感なぼくらの高校生活の最初にこういう先生とめぐりあえたのは非常に幸運だったということを言っていた。

その先生は、不幸にも55歳のとき家の直前で酔払い運転の車にはねられ帰らぬひととなってしまった。そんないい先生だったので、今でもぼくらだけではなく、何代もの教え子たちが先生を偲んでクラス会をやっているそうだ。I先生は歌人でもあり、漢文の権威でもあったので、もう少し長生きをして、そちらで業績を残してもらいたかった。

昨日も墓誌に刻まれた先生の作品「流動を 深き心に 蔵(かく)しゐる 坂東太郎を 思ひて眠る」という歌を聞き、みな感慨に浸ったのでした。

もっといろいろなエピソードが披露されたが、幹事の一人がいみじくも言っていたが、みんなに会うこと、みんなの話を聞くことで元気をもらえると言ったことが印象に残った。そしてまた来年もやることになった。
 

 

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2008年12月07日 13:44に投稿されたエントリーのページです。

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