« 私家版業務システム変遷史 ― 1995年 | メイン | パチューカのルチャリブレサッカーは面白すぎる »

行商人

今のようにスーパーマーケットがあって、コンビニがあってという時代ではなかったので、どんな店屋があったのかを言っておく。家のまわりにあったのは、八百屋(酒屋、米屋を兼ねていた)、さかな屋、肉屋、パン屋、豆腐屋、文房具屋、駄菓子屋、クリーニング屋、床屋、牛乳屋ぐらいだったと記憶している。その当時は冷蔵庫というものがなかったので、毎日夕方になるとそれぞれの店に買いにいく。買出しは多くの子どもたちの仕事でもあった。

しかし、そうした店とともに行商する人たちがいた。商品を自分の背中でかつだり、自転車やリヤカーに積んで、家々を回って歩くのである。

パン屋のこまさんは、いつもリヤカーの後ろの大きな箱にパンをいっぱいつめて、鐘をならしながらやってくる。そのころはパンの種類も限られていて、ジャムパン、ピーナッツバターパン、メロンパン、チョコレートパン、そしてぼくのお気に入りの甘食パンといったところである。それでも甘いものはことのほか欲しかったのでよく食べた。

さかな屋のもう名前は忘れたがおじさんが時々くる。金沢八景から自転車を操ってはるばるやってくる。とくにあさり、蛤の類をよく調達した。おじさんが来た日はアサリの味噌汁である。

夏は、アイスキャンデー屋さんである。自転車に幟をつけて、棒についた一本5円のミルクとチョコレートのアイスキャンデーは夏の暑い日になるとあの鐘の音と一緒に思い出す。

まあ、極めつけは越中富山の薬売りだろう。近くに薬屋がないので重宝した。毎年1回やってきては、補充してくれるのである。そのとき必ず、紙風船かゴム風船をくれる。それが楽しみで薬売りの人が来るのが待ちどおしかった。

モノがない時代だからこそ、特に食べ物を買うことは大事なことで、なけなしの金をもって本当に欲しいものを待ちに待って買うのである。だからまた美味しかったように思う。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://kamawada.com/~masanori/blog/mt/mt-tb.cgi/851

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2008年12月13日 10:45に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「私家版業務システム変遷史 ― 1995年」です。

次の投稿は「パチューカのルチャリブレサッカーは面白すぎる」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type