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私家版業務システム変遷史 ― 1998年

さて、工場の生産管理システムは何とか動いたのだが、どうしてもできなかったものがあった。それは、生産計画システムであった。正確に言うと生産計画というより、製造スケジューリングといったほうがいいかもしれない。

販売計画に基づき、最適化された稼動スケジュールを描くというものである。反応釜がいくつかあって、キャンペーンごとにそれらを切り替えながら製造する。さらにそれを入れるサイロ繰りもスケジューリングする。

これが難しいのだ。まあ、スケジュール問題はとくに最適化の要素が絡むとかなり難しくなる。当初は、AsprovaだとかArtemisだとかいったソフトを買ってきてやろうとしたが予算の関係上買えないことがわかり、それじゃあ最適化を諦めて単なるスケジュール作成システムにするかと考えた。

最適化を入れるか入れないかでぜんぜん違ってくる。後年、この難しさから、私はケーススタディができベターケースを人間が選択すれば十分じゃないかという考えになった。

ところが、そのとき名古屋のあるベンチャーがやりましょうと言ってきた。それもイスラエルのソフトを使ってやりますという話である。研究的要素があるので安くやるということに目がくらみ開発を始めた。しかし、2年経ってもできなかった。これはにがい思い出のひとつである。

さて、この年の半ばに工場のシステム部門から東京本社の情報システム部長に転進した。この組織は協力会社のひとを含めて120人くらいの所帯である。東京は主にメインフレームを使った基幹業務システムの運用管理である。

まだ、赤坂の一等地の地下にコンピュータ室があって、何人かのオペレータがいた。いやー、メインフレームの経験がないのでこんなものかと思ったが、なにか重厚な感じがしたものである。

そのころの開発にSFAがあった。確か人事が主宰して事務部門の効率化プロジェクトみたいなものを立ち上げた。そのなかで営業部門のシステム化がテーマになった。営業情報が属人的になったり、上司に報告がいかなかったり、そんな問題を解決しようとなったわけである。

そのとき営業支援ソフトを導入して、営業日報の記入と共有化を行なうのがいいとなった。ところが、最初のころはよかったのだが、だんだん使われなくなってしまった。

そこでなぜ使われなくなったのかをいろいろ考えてみた。実際の現場の営業マンや営業部長などにも聞いてみたのだが、どうも現場の営業マンが営業日報を書かなくなったのがそもそもの発端で、なぜ書かないかというと書いてもそれが上司のためだけであって、自分の役に立たないということが理由のようだった。

要するに、日報を書くインセンティブが書く本人にないことに起因しているのだ。せっせと上司に報告するだけで、しかもそこから的確な指示が出るわけでもないとなるとモチベーションが下がりますよね。そんなわけでほとんど使われないというまたまた苦い思い出になった。

ところで、いまSalesForce.comが注目されていますが、うまく使えているのだろうか。
 

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2009年01月20日 09:32に投稿されたエントリーのページです。

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