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本質を見抜く

ここのところスタロジの羽生さんが立て続けにブログですごくいいことを書いているので反応したくなった。「営業マン」「起業・経営の必要条件」「制約が工夫と本質を磨く」である。

GoTheDistanceさんもこのエントリーに対してコメントしているが、ぼくはぼくなりのちょっと違った視点で考えてみた。羽生さんが書いていることは、会社でモノを作ってそれをお客さんに売って会社の経営を立ち行かせるには、何が大事なのかをこれだけの行数でほぼ言い尽くしてあるのに驚かされる。

ぼくも2年半まえに起業してまがりなりにも会社を経営しているので身につまされる思いで読んだのである。ただし、これは何も起業している人たちだけではなく、普通に会社で働いている人にとっても当てはまることでもある。

ブログの記事に言及する前に最近の問題も絡んでくるのでそのことに少し触れておく。いま、派遣だとか非正規社員だとかいう問題が喚起されているが、皮相的な議論はさておき、ぼくは本質的なところをよく考えておく必要があると思っている。

それは何かというと、働く価値というか生きがいをもって働くということはどういうことかということである。

どうも今の派遣などの問題では、何でもいいから職をくれ、給料をもっとくれと言っているようだ。そしてワークシェアリングだなんてばかなことを言う。こういうことは、裏を返せばノンワーキングリッチが何といわれようとも会社を離れないといっているのと変わりはない。

すなわち、働くということは、いやなことやりたくないことでも給料がもらえればそれでいいのだという振る舞いにつながるわけで、そんな主張をみんなしているのだろうか。

だから、事の本質は働く人それぞれが生きがいを持てる、あるいはそこまでもいかなくても好きになれる仕事に就けるという多様的な雇用の流動化が必要なのであって、派遣規制をするとか労働者を保護することではないのだ。

こんなことをいうと、必ずそんなことをすぐに出来るわけがないとか、だれでも好きなことができるわけがないと言う。そりゃすぐにできないし、みんながやりたがらない仕事をするひともいるだろうが、徐々にでもいからそういう構造にもっていくように舵をきることなのだ。

昨年、うちの社長(息子)が転職雑誌のインタビューを受けたことがある。社長は就活もしたこともないし、就職もしたことがないのになぜ転職雑誌に載るのかと思ったら、その編集者が、「起業も転職の一つです」と答えたのでなるほどと思った。

転職とは自分のやりたいことをやれる場所を探すことだから、確かに起業は既存の会社ではできそうにないので会社を起すわけだからそういうことだ。だから、社会構造的かつ心理的にも、こうした動きをもっと滑らかにできるようにしたらいいと思うのである。

ただ、ここで転職と起業の大きな違いがある。起業する場合、羽生さんの言う「起業・経営の条件」としての「財務と営業」の重要さである。買って頂く能力とお金の使い方の能力が不可欠なのです。だから、羽生さんの言うように、会社を作るのは簡単だが、この条件をクリヤーするのは並大抵のことではないのだ。

羽生さんはこれをOSのようだと表現していますが、従ってもっと大事なのはこのOS上で何を動かすかです。すなわち、どんなものを売るのか、何を商品とするのかです。それが魅力あるものであるのか、お客さまが欲しがるものなのだろうかとなる。しかし、それがあったとしてもお客様が来るのを待っていたら売れないわけで、それをどうやって売るかが“営業”なのである。

ぼくが営業で最も必要と思うことは、簡単に言えば「自分がほれ込んだ商品を売ること」である。これは営業だけに限らず、開発や製造でも同じで、「自分がほれ込んだ商品を開発することであり、製造すること」なのである。だから、最初に言っているのは、こういう誇りを持てる仕事をすることで報酬を得ることを志向しようよということである。

羽生さんのブログに出てくる営業の人たちは、ぼくの経験からも一般的によく見てきた。自分商品がそれほど好きでないのに売り込みがうまいやつとか、某社のように圧力団体のように大勢の営業がきて脅していく。ただ売れればいいという態度である。それではなかなか売れないと思うのだがけっこう多いパターンで、そういう人たちは”売れそうな商品”があるところにすぐに乗り換える。

逆にいえばほんとに自分が愛情をそそげるような商品があり、それがいいものであれば、必ず売れるはずだ。スタロジはギョウゾー!ができてうらやましい。ぼくらも今年前半には何とかいい商品をつくるつもりだ。

そして、そのいいものを作る上で意外と思われるかもしれないが、「制約が工夫と本質を磨く」ということが大事なのである。何でもお客様が望むことができるのがいいことではないだろうし、様々なお客様が同じことができるとは限らないだろうから、必ず制約というものが存在する。

ただし、その制約とは、これができない、これをしてはいけないということではなく、羽生さんの言う「型」にはめることだと思う。ただし、その「型」が本質的で、かつ適応的なものでなくてはいけません。

この本質を見極めるというのは、業務システムの領域について述べますが、システムからの発想では見えてきません。システムは単なる道具だからです。業務側あるいは使い手側から発想していくと、本質が見えてきます。

実はその業務は「型」があることに気がつきます。大変シンプルなものです。そして、それができれば、そこには「作法」が生まれ、そこで初めて作法を実行するためのインターフェースとしての道具(システム)が必要になってきます。

結局、「本質を見極めた商品を作り、それにほれ込んで売り込み、買ってもらったお客様に喜んでもらうこと、その結果、利益(給料)もそこそこあげられるということ」を働きがいがあることだと思えるようにしたいものです。
 
そのためには、繰り返すが、硬直的な労働市場ではなく、もっと流動的にすることだとぼくは思う。

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2009年01月15日 10:32に投稿されたエントリーのページです。

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