いささか古いネタになってしまったが、どこかの国の某大臣が“もうろう”記者会見が世界に発信されてしまい辞任した。
いまさら、政治的な影響がどうの、大臣としての品格がどうのというつもりはないが、ちょうどその辞任劇にマスメディアがはしゃいでいたとき、象徴的な2つの政治的事象が重なった。それは、ヒラリー・クリントンの来日と村上春樹のエルサレム賞授賞スピーチである。
特に、村上春樹の前では、圧倒的にというか、絶望的に日本の政治家の「政治力」のなさに落胆させられた。それは、政治的意味を政治家が知らないという悲劇でもある。
これから書くことは、政治的なことではない。もうろうとなることがあるということを言う。というか、そういう場にめぐり合わせたことがあるという話をする。
あの大臣がなぜあのような状態になったのかは、よくわからないらしい。まあ、泥酔していたのだとかそうではないとかはどうでもよく、薬と酒と時差ボケが相まってなったのだろう。
ぼくが、もうろうとなった人の講演を聞いたのはもうかれこれ10年くらい前であった。幕張メッセでIBMの大きなカンファレンスがあって、ITを経営に生かすにはといったテーマの講演があった。
そのときの講師は有名なコンサルタントのS氏で、彼の書いた本を読んでいたぼくとしては目玉の講演nの一つであった。だから勇躍して会場に乗り込んだのだが、その講演の半ばころになると、そのひとがプレゼンの最中に居眠りを始めたのである。もうしどろもどろで、こちらがはらはらしてしまう。
どうも海外から戻ったばかりで、空港からその足できた様子でぜんぜん眠っていなかったか、それか病気だったのかもしれない。そのフォーラムは有料だったからよほど金を返せとどなってやろうかと思った。結局、何を言っているのかさっぱりわからないで引っ込んでいった。
なぜこういう話を持ち出したかというと、必ずしも人間はいつも完璧ではないから、そういう事態になりえるということである。セルフコントロール不全に陥ってしまうのである。
ですから、巷間よく言われているように、それをコントールできるようにフォローしてくれる人が周囲にいなかったことが問題なのである。
ぼくの居眠り講師の場合はそこまでできなくてもいいかもしれないが、何とか大臣が本当に有能なら、なおさらその有能さをいつも発揮できるバックアップ体制をとることが必須だったはずだ。
それが機能しない、むしろみんなで足を引っ張る社会が恐ろしいのである。周囲の人がみな知らん顔することが自己の保全につながると考えていることがいやらしいのである。
