経験は大事だと人はいう。そうであったら、年寄りがいちばん経験があるのだろうか。それと、なぜ経験を積むといいのだろうか。
経験は単に時間の長さではないように思う。おそらく、その数であろう。これまでに出会った事象とそれにどう対処したかの主に種類ではないだろうか。同じ事を何回もすることは経験の数には入らないと思う。
それと、事象の新規性や難易性であり、その対処の仕方の深さあるいは過酷さのような経験の質も関係してくるような気がする。
では、そうした経験は向こうからやってくるものだろうか。確かに、こちらで望まないのにやってくることももちろんあるが、それはだれでも多少の差はあれ、似かよった経験をするものだ。それ以外で多くの経験を積むにはどうしたらできるのだろうか。
それは、いかに挑戦をしてきたかにつきると思うのである。いいかえれば、失敗してきたかということかもしれない。様々なことにチャレンジし、時には成功するが、多くは失敗だったというその数が、経験になっていくと思う。
そこには、真似すべきロールモデルから脱却して、自らで切り拓く精神が必要である。若いときは、ロールモデルを見習い、そこで自分のスタイルを磨き、そこから巣立っていくということが大切である。いつまでも真似事にしがみついてはいけないのである。
そういう意味で、われわれ団塊の世代は経験が多いと思っている。団塊を嫌う人もいるが、われわれは、戦争によりロールモデルたるべき人が少なくなったせいで、自分たちで新たなモデルを作らざるをえなかったという側面があり、それは挑戦であったのだ。
そして、挑戦し続けることでやっと分かってくるのである。ここで、横浜ベイスターズの工藤公康の話をする。
彼は、今年で46歳になり、実働年数27年で野村克也を抜いて歴代1位になった。しかし、ちょっと前まで2軍に落ちていて、そこで必死にもがいていた。ただ、驚くことに、先日の湘南シーレックスでの試合で、シュートを投げたのである。何と、この年で新しい球種にチャレンジしているのである。
その彼が言った「40歳になってやっと野球が楽しめるようになった」という言葉が経験ということを語っている。
すなわち、チャレンジし続けて得た経験が積み重ねられることで初めて楽しみがやってくるのだということである。
最初に言った、なぜ経験を積むといいのかということの答えがこれである。経験を積むと歳をとってからが楽しいのである。そのことである。
だから、若いひとたちにぼくは今になったから言えるのだが、分かったようなことを言う前にいろいろなことにチャレンジしてもがいた方があとあといいことが待っていると言いたいのである。
