古代中国の陰陽思想ではないが、物事は陰と陽すなわち対立した二面性があり、それぞれがバランスして秩序が保たれる。それが片方に大きくずれるとおかしなことになる。
なぜこんなことを言い出したのかというと、日本人は、ある対立した議論が巻き起こるとすぐにどちらか一方にどっと流れてしまうような気がするからである。
メディアのあり方も問題なのだが、個々人で深く考えることを放棄したかのように一方の論に流れる。それだけならいいが、オーバーシュートしてより過激になったりするのである。
ぼくがまだ化学会社にいた1991年に一橋大学の伊丹敬之教授が「日本の化学産業 なぜ世界に立ち遅れたのか」という本を書いたが、一般には知られなかったが、化学業界ではかなりセンセーションを巻き起こした。
内容がどうのということより、その題名からくるインパクトで、業界の人たちみんなが、ああもう自分たちの産業は終わったと思ってしまったのである。まさに、オーバーシュートしてしまった。
ごく最近の話題でも、地方分権が喧しく主張されていて、国民がいっせいにそちらにオーバーシュートしてしまいそうだが、確かに地方へ権限を委譲することは大事なのであるが、それだけすればいいというものではなく、中央集権とのバランスのなかで考えていかなくてはいけない。
もっと言えば、国家のあり方がきちんと議論された上で、そうした国家を機能させるために地方の権限はどこまで、財源はどこまでということにすべきであろう。メディアもすぐに話題性がある知事がわめいているから便乗しているが、そうした根源的な議論を忘れないようにしてほしい。
この中央集権か地方分権化という問題は今に限ったことではなく古代からのイシューである。以前このブログでも紹介した「越境の古代史」(田中史生著 ちくま新書)にも、7世紀ころ九州各地の首長が独自に大陸からの渡来人を受け入れ、王権力が及ばなくなると、それを契機に中華的・中央集権的な国家を樹立したと記してある。王朝名「日本」、王号「天皇」の誕生である。
こうして古来からこの問題は国家の構造として重要な問題で、ここでもでてきたように外交や教育、最近では環境といった問題は中央集権的にやるべきものである。
ですから、今度の選挙では、オーバーシュートすることなくバランスよく議論をしてもらいたいと思うのである。
