先日、網野善彦の日本の歴史について書評で書いてみたが、そのなかでこれまで言われてきた歴史の常識が実は違うのではないかというのがあったと思う。それで、どうしてそういうことがおきるのかということを考えてみた。
歴史には、文明化してくると支配するほうと支配されるほうの2極があらわれてくる。差別とか格差も同じようにあらわれてくる。
そして、支配者は当然のように支配しやすいように社会構造も変えていくわけである。だから、日本は農本主義でという話も律令国家として中央集権的な形にするには土地を与えそれにより、民を捕捉しておくという方策が取られることになる。だから誰彼となく「百姓」として登録されるのである。
もともと「百姓」という言葉は農業を営む人だけに付けられたものではないらしい。だが日本では、それが前に言ったような土地との関係で農業従事者のように見られれるようになったのである。
ですから、何を言いたいかというと、支配者あるいは為政者の都合のいいように制度や構造がつくられるため、そしてそのことが残されていくため、時間とともに歴史となってしまうのである。支配者される側の論理はいつのまにか消されてしまい、支配者側から観た歴史だけが残っていくのではなのだろうか。
それを、さらに感じるのは歴史的建造物のことである。いま生き残っているそうした遺産はほとんどが権威のあるもので、名もない市民の家が残されることはない。その生活が記録されることも少ない。
ということは、そうした過去の記録を見て、これが歴史だと言われてもそれは支配者の側の論理でしょという思いがするのである。ユネスコの世界遺産にしても、結局お金がいっぱいあった権威が作ったものがほとんどではないでしょうか。
だからといって、中国のばかな文化大革命のようなことをしろなんてことはまったく言っているわけではなく、支配された側の歴史も同じように考えていかなくてはいけないということを言いたいのである。
