久しぶりの“ワナ”シリーズ(え、いつのまにかシリーズ化してたのというツッコミはなしで)。今回は、正解主義のワナといういことで、世の中では問題の答えが必ずある、あるいは答えは出すものだというが本当だろうかという話である。
学校で教えられるのは答えを出すことで、試験も答えを書かなくてはいけないのとその答えがひとつであるというのが普通である。でもこれっておかしいと思うことがありますよね。
だいいち、社会に出て仕事をするようになると、いつも正解がひとつあるという方が少ないかもしれない。全く合理的なものは無理で限定的にならざるを得ない。H・A・サイモンもこれを「限定合理性」と呼んでいる。
そうしたとき、よりよい答えを導きだすわけだから、そのプロセスが非常に大事になる。どれだけ、答えを出すために必要な知識や情報を持ち出せるか、それをより正しい基準で導出できるかということである。
ここで、このワナシリーズで「自動化のワナ」というエントリーを書いたが、それに関連して思うのは、自動化というのは、正解主義の表れではないだろうかということである。何がなんでもひとつの答えを出すという考えが自動化に向かうような気がする。だが、そう簡単に自動化できるとは思えない。
特に、「イノベーションの新時代」という本でも出てきた“個客経験の共創”というような概念では、答えはひとつではないというのがよくわかると思う。答えを創り出すようなプロセスなのである。そこには、決まりきったように処理すればいいやということはない。
だからといって、教育の問題へ持っていくのはいやなのだが、学校では教えてくれない答えを考え、創り出すプロセスの大切さを強調しておきたい。
これまた、業務システムにこじつけるのもいやなのだが、これまでの業務システムはこの正解主義で作られたシステムです。ですから、これからはそうではない“個客経験の共創”が実現できるシステムが求められているのです。ところで、くれぐれもこの個客には従業員も含まれることを忘れないように。
