ちょっと前に「日本人はどこまで減るか」(古田隆彦著 幻冬舎新書)で人口増減を非常に長いスパンでみてみると、大きな波があって今もその中にいるというような話を書いた。
この論拠は巨視的な眼で概観することと統計的な手法をもってはじき出している。実証的ではないためにこうした手法を嫌う人もいるが、必ずしも論理で割り切れる世界ではないというか、むしろそんなことはごくまれだ。
ご承知のように経済学だって、法学だって、医学だってみな臨床的にやるしかないのだ。経営学なんてその最たるもので、「ビジネスインサイト」を書いた石井教授が面白いことを言っていた。
経営学者も、「実際の経営に役に立ちたい」という気持ちはある。だが、ここのところであえて言わせてもらえば、私を含めて多くの学者は、自分の所説が経営の実務に直接的にすぐに役に立つとは思っていないというのが正直なところである。良きにつけ悪しきにつけ、学者のクライアントは実務家ではなく学者なのである。
ですから、マクロ視点で統計的に見ていくというのは、仮説を提示してくれているわけで、それが正しいとかということではなく、そういう見方もあるんだという態度であたることだと思う。
この巨視眼というものを持っていると、いわゆる近視眼的な見方とどこが違ってくるのだろうか。僕はそれは、“捨てることができること“と“ブレないこと”だと思う。そのために一旦引いて俯瞰したらいいのだと言いたいのだ。
大きくみると何を捨てて何を得るのかということがわかってくる。そうでないとつまらないことや必要ないことにこだわってしまう。そして、先までのことを考えているからブレることがないのだ。
ぼくはサッカーが好きなのでサッカーのたとえでいうと、サッカー監督の必要な能力に「ゲ―ムプランニング力」があると思う。これのことである。捨てることとブレないことが大事だとわかるのですが、試合中ずっとがむしゃらに突っ込むわけにはいかない。どこかで何かを捨てないと勝てないのだ。もちろんブレたら選手はついてこない。
囲碁の布石と四隅の死活の話はしつこいのでしないが、鳥の眼でものごとを見ることは絶対必要なのである。
