年も押し迫ってからの第41回「柳家小里んの会」である。しかも平日だったので、お客さんの入りはどうなのかなあと思ったが、池袋演芸場はほぼ満員であった。だいぶ固定客が増えてきたようだ。
演目は、「うどんや」ともう一席は“暮れのお楽しみ”となっていた。要するに何を噺すかあらかじめ決めておかないで、その場で決めるという。でもこれって寄席では普通である。
ちょっと前に「落語論」という本について書いた時も言ったように、落語というのは、本来タイトルがない。なぜかというと、その時、その場でマッチする噺が変わるからである。
簡単に言えば、「うどんや」は夏にはできないのである。真夏の暑い日に熱いうどんをふうふう言って食べるわけにはいかない。また、寄席なんかでは現実的に前に上がった人がやった噺は繰り返せないから前もって決めておくわけにはいかない。
昨日は、そのお楽しみは「山崎屋」であった。この話は「山崎屋」という鼈甲問屋の若旦那が吉原の遊女にいれあげてしまい、それを番頭が一計を案じその遊女を嫁にしてしまうという噺で、小里ん師匠お得意の?吉原の話である。
この吉原のことは今の若い子はぜんぜん知らないだろうということで、まくらでこの辺の説明を入れてくれる。終わってから行った小里ん師匠もよく行く「M」のバーテンのかおりちゃんも説明してくれないとわからないと言っていた。
なぜ演目を決めていなかったのかということに対して、師匠は、この噺は長いので覚えられるかどうかわからなかったから、あえてそうしたと言っていた。そのせいかどうか知らないが、いくぶんかむところも多く、“こなれ”が足りないように思えた。
しかし、このように新しいことにチャレンジする姿勢はたいしたもので感心する。もう一方の「うどんや」では、地で?演じる酔っ払いは秀逸でさすがだと思った。
