自分の名前がどうやって付けられたかはずっと気になっていたが、なかなか親に面と向かって聞く機会がなくてそのままになっていた。そんなわけで、この歳になって改めて聞くのも照れくさかったのだが、先日ばあちゃんに問うてみた。
そうしたら、「どうだったかなあ、福島正則からかもしれない。もう忘れたよ」というつれない返事が返ってきた。もう少し、真剣に子どもの名前を付けてくれよなあと思ったが、そういえば自分の子供の名前をどうやって付けたかと言われると、確固たる理由を述べることができないので、しょうがないかと納得する。
中学生の頃、国語の先生に君の名前は昔のえらい武将と同じだねと言われたのを覚えていて、そんなこともあって、福島正則について何となく親近感をもっていた。とはいえ、その人がどんな人だったのかは、断片的にしか知っていなかった。
そこで、そのものずばりの「福島正則」(福尾猛市郎、藤本篤著 中公新書)を手にする。歴史学の師弟である二人の先生が書いた本で、福尾教授が残した遺稿を弟子である藤本氏が補遺したという。だから、史料を丹念に調べてその足跡を追った構成になっている。
だからということかもしれないが、はっきり言って面白くない。研究書としてならかくありなんと言えるが、新書で書くなら、もう少し人間的な側面に光をあてて表現してほしかった。事象的な事実の羅列ではなく、生身の人間としての生きざまのことである。
福島正則は、安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した武将で、小さい時から豊臣秀吉に仕え、後に広島藩主になった。この人物については諸説あるが、よくいわれるのは、不器用で武骨な武士というのと、同じようではあるが、一方で粗暴で残酷だったという説もある。まあ、旧主の恩顧を忘れず、あまり権謀を弄さない一途な性格だったようだ。
この時代というのは、関ヶ原の戦いもそうだが、東につくのか西につくのかといったように多くの大名は変節したり、背反したりした中では、異色だったようだ。だからこそ、いまの時代になっても評価されるのかもしれない。
歴史は繰り返すというか、人間の生きざまは古今東西変わらないものかもしれない。ぼくの親が、福島正則のいいところである誠実さと一途さを願って名前を与えたとしたら、はたしてぼくは親の期待に応える子どもになったのだろうか。
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