カンヌ映画祭で話題になったとか言われているがホントなのだろうか。北野武監督主演の映画「アウトレイジ」はちょっと首をかしげたくなる作品だ。「コマンドゥール」を授与されたからとか、あのお笑いビッグ3のたけしだからとかいった先入観を取り去って考えてみた。
結論から言うと平均的な出来栄えで可もなし不可もなしといったところか。テレビなんかに流れる「みんな悪人ばかり」という惹句も、ぼくには登場人物がみなそんなに悪人には見えなかった。変な言い方だが、悪人としてふるまっているわけではなく、単にヤクザという組織でそこの成員として行動しているに過ぎない。少々残虐だが。
いまどきヤクザ映画かよとツッコミたくなるが、物語は、ヤクザの組同士の縄張り争いと裏切りによる抗争が延々と続くだけの映画なのだ。そして、下っぱの組長が親分のいうことを真に受けて、鉄砲玉になるのだが、そんなのは最初から使い捨てにするつもりだから、割の合わない結果になる。
そして、だましだまされて最後は殺し合いになって散っていく、さて最後に笑うのは誰だみたいな感じになる。これってどこか既視感がありますよね。そうなんです。高倉健の世界であり、「仁義なき戦い」なのである。
だから、北野武が今の時代にそうしたヤクザ映画を撮った意味がわからない。というか、「昭和残侠伝」や「仁義なき戦い」を超える、あるいは現代ならこうだみたいなものをねらったのだろうか。それにしたら、討ち死にですね。
最後の最後までがまんしてひとりでかたき討ちに出向く健さんの美学には足元にも及ばない。だいいち、子分が加瀬亮のインテリやくざ以外みんな殺されてしまうのに、自分は敢然と首謀の会長の首を取りにいくのかと思いきや、自首しちゃうんですよ。それで刑務所で昔いじめた対抗組織の若頭に刺されて死んじゃうんだから。あれれーです。
仁義なき戦いにある多くの若い衆が眼をぎらつかせて躍動する姿はどこにもなく、バカヤローばかり叫ぶ兄ちゃんばかりだ。ただ、こうして比較してもらいたくないかもしれないが、もう一度言うが、いまなぜヤクザ映画なのか。
前にも書いたが、北野武はもはや時代の風に合わないレガシーになってしまったようだ。
