レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトル「What We Talk About When We Talk About Love」から付けられた「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹 文春文庫)を読む。もうタイトルからしてかっこいいのでうっとりしてしまう。
ランナーとしての村上春樹は有名で四半世紀の間走り続けているという。ランだけにとどまらずにトライアスロンにまで手を(いや足を)延ばしている。そんな彼が走ることについて書きためた文章をまとめたものである。
雑誌への書き下ろしもあるが多くはどこかで出版されることを想定していたわけでもなく備忘録的に書いたものだという。ところが、それがタイトルにあるように単に走ることについてだけではなく、作家としての走り方、作家としての生活、小説を書き続けるレースについても語っていることで大変おもしろい読み物になっている。
僕はこの本を「メモワール」のようなものだと考えている。個人史というほど大層なものでもないが、エッセイというタイトルでくくるには無理がある。(中略)僕としては「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかりを小説家として、また一人の「どこにでもいる人間」として、どのように生きてきたか、自分なりに整理してみたかった。(中略)たぶんこういうものを書くには、ちょうど良い人生の頃合いだったのだろう。
村上春樹は、ほぼ同年齢だからこの「ちょうど良い人生の頃合い」というのがすごくよくわかる気がする。ならばぼくはどういう行為を媒介にどのように生きたか整理したらいいのだろうか。
ただ、村上春樹のすごいのは肉体的な行為と精神的な行為の両方を永続的、まさにマラソンレースのように走り続けていることである。これは単純に称賛されるべきものだ。特に、ケガもせずにマラソンを2十数レースこなす体力というかその強靭性に驚かされる。きっと、そうして走れるからこそ、すばらしい小説もかけるのであろう。昔の作家のイメージとずいぶんと違っている。マラソンを走る太宰治は想像すらつかない。
そして、小説家としての重要な資質は集中力だという。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力だという。それって、スポーツじゃんといいたくなるが、たしかにそういう一面があると思う。
それにしても、いつも感じるのだが、村上春樹の文章は“スイング”していて、自分も一緒になって走っている気分がしてとても気持ちがいい。
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持続すること
やはり、いいな〜
マラソンに興味のない人も
なぜこんなにまで、この人は努力するのか
なぜ村上春樹は走り、僕らも走り続けてしまうのか

