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ツイッタ―再考

ツイッタ―については、その良さや有用性がよくわからなくて、あまり使っていない、というかほとんどつぶやいていない。有名人ならその知名性から多くのフォロワーがついてくれるし、つぶやけばすぐに反応してくれる。ところが、ぼくみたいな無名人がいくらつぶやいても誰も相手にしてくれない。そんもののどこがおもしろいのかと冷ややかな目で見ていた。

さらに、SNSだとか掲示板だとかであまりいい思いがなかったこともある。掲示板なんかで反応が返ってくるのはいいのだが、うれしいものがある反面、明らかにチャチャを入れたり、反対することに生きがいを感じるような、斜に構えた批判的な人がいる。だから、そんなコメントに接するたびに気分が悪くなるから投稿もしないし、見もしなくなった。

ところが、最近気がついたのはSNSとか掲示板と全然違うということである。何が違うかというと、基本的に双方向のコミュニケーションではないことなのだ。ぼくは以前にWeb2.0の特徴あるいは良さの一つが双方向コミュニケーションであると言ったが、その双方向性が故に功罪合わせ持つのだ。

しかし、ツイッタ―はもちろん双方向のコミュニケーションも行うのだが、それで成立しているわけではなく、単方向の組み合わせという程度なのである。このゆるさが、爆発的な人気を呼んだのでハないかと思う。言いっぱなしでいいので斬り合わずにすむのである。従って、匿名の必要性が薄くなり実名でも恐くない。

ただ、ではフツーの人はいったい何のためにツイッタ―をつかうのだろうか。天気がいいとか、うまいものを食ったとか、そんな私的な日常性をつぶやいたところで誰も見向きもしないわけだし、仲間同士の会話であっても、それならメールや電話で十分だろうという話である。

かろうじて、ネット上あるいはメディアで話題になったトピックスについてつぶやくのが最低限の表現かもしれない。これとて、ぼくはしょせん“リアクション芸”であると言っているのだが、何かツッコミがあってはじめて成立するものだと思う。

次が、ある特定のジャンル、たとえば趣味のこと、音楽やスポーツのことなどに絞ることでしょう。ただこれとて、単につぶやくだけではその発信の価値は低い。結局、自分のオリジナルの考え、思い、知識、経験といったものを発信している場を裏で持っているということが大切のような気がする。

そういう意味で、ツイッタ―とブログはどちらか一方と言うのではなく、両方の組み合わせというのが望ましいのではないでしょうか。ツイッタ―がブログへの“呼び水”になるという位置関係のことです。と言いながら、ツイッタ―はマメじゃないとできないようで、どうもぼくのようなズボラな人間は使いこなすにはけっこう時間がかかるようなのである。

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2010年08月07日 12:55に投稿されたエントリーのページです。

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