先週の木曜日の夜にぼくの姪が出産した。予定日が7月27日だったから10日ばかり遅く生まれた。3200gの元気な女の子である。早速、ぼくの携帯に産婦の母親である姉から写真が送られてきた。姉も初孫なので大喜びである。うちのばあちゃんにとっては曾孫である。
こうした新しい命の誕生はやはりうれしいもので、みなで無事に大きくなれと願う。そして、そのために親はありったけの愛情を注いでやれよと思うのである。これは古今東西営々と続けられたことだと思うのだが、それを覆すような事件が起きている。
3歳と1歳のわが子を家に閉じ込めて遊びほうけたため、2人を死なせた母親が逮捕された。何ともやるせない思いである。一方で人が生まれ一方で生まれた子を殺す、そして子どもが欲しいと願いながらも叶わない夫婦がいる。不条理な世の中だがそれが現実である。
また別な相を眺めてみると、100歳以上の高齢者の所在不明者がぞろぞろ出てくるという問題が起きている。いったいどこに行ってしまったのだろうか。現代版楢山節考なのだろうか。こどもの遺棄もそうだが、なにかひずみみたいなことが起きるとその犠牲になるのは年寄と子どもなのだ。
両者の事件を結びつけようとして、家族のきずなや互助的な共同体がなくなっただとか社会制度が問題だとか声高に言うつもりはないが、どうも二つの問題があるように思う。利他的な行動のインセンティブが減退していること、プライバシー侵害の過剰反応である。
利己的な行動へ走る人が増えているのは確かなように思えるが、なぜだかもよくわからないし、どうしていいのかも答えがなかなかない。簡単にはいきそうもない。ただ、個人情報保護法という行き過ぎ感のある法律のおかげで、この利他的行動の抑制が起こったことは否定できないのではないでしょうか。
以前にも指摘したのだが、この法律は「個人情報」を保護する法律であって、けっして「個人」を保護するものではないことを知ってほしい。ここらで、原点に立ち返って個人を保護するためにどういう法律、制度にしたらいいのかをしっかり議論してほしい。
上の二つの事件でもある程度強制力を効かせた「お節介」をしていれば防げたかもしれないと思うからである。それが、もしその「お節介」が行き過ぎたということで責められるかもしれないから、踏み込むのはやめようという意識で抑制されている可能性がある。
いずれにしろ、こうした問題はすぐには処方できるものではない。長い時間でできた風潮でもあるからである。切ないけど地道に人と人との関係性の修復をすることなのだろう。
