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事故を考える

わが家のお盆は昨日の朝にお墓に行って霊を背負ってきて、家の玄関先で迎え火をたいて霊を家に入れます。その後は毎日お線香をあげ、お供えを取り変えてささげます。そして、16日に送り火を焚いて送り返し、お寺に行ってお施餓鬼に出て塔婆を立てて終わります。

で、お盆だからというわけではないが、昨日も中東のアブダビで4人の技術者が自動車事故で亡くなった事件が気になった。ぼくの大学時代の同級生ももうずいぶんと昔だが中東で自動車事故に会い死んでいるので人ごとではなく痛ましいかぎりである。そして、最近立て続けに海外で邦人が事故に巻き込まれている。

さらに一昨日は、日航ジャンボ機の墜落事故から25周年ということで御巣鷹山への慰霊登山の模様をメディアが一斉に伝えていた。520名という命を奪った未曽有の航空機事故で、もちろん当時のことはよく記憶している。犠牲者に坂本九が含まれていたり、墜落するまでのわずかな時間で書いた遺書など今でも心を痛める。

ここで事故のことを考えてみたい。航空機事故は一度に多くの犠牲者がでるので注目されるが、自分にとってどれが恐いかという話である。ことわっておくが、どの事故がかわいそうだとか、痛ましいとかいっているわけではなく、個人としての感じ方を言っている。だから、社会現象的には飛行機や船、そして鉄道といったものの事故が大きく報道されるが、実は身近な自動車事故が恐ろしいと思うのである。

ここに統計がある。道路、鉄道、航空、海上の交通事故による死亡者数の長期推移である。これをみると、ダントツに道路での事故による死者が多いのがわかる。鉄道も結構多かったのが最近ずいぶんと減っているんですね。道路事故も1970年前後に比べると大きく減らしている。

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この数字からも自動車事故が一番身近だし恐いのは当然かもしれない。ぼくは、飛行機も船も乗る機会は少ないからなおさらだ。自動車は被害者になるだけではなく、自分でも加害者にもなることがあるから、より悲劇的で、ここも航空や海上と違うところでもある。被害者に近い数の加害者がいるわけだから、ある意味犠牲者は死者の数以上なのである。

そうみていくと人類が生み出した道具や機械のなかで武器以外で最も多くの人を殺したのが、いや殺し続けているのが自動車ではないでしょうか。これは、かなり恐ろしいことなのだが、最近は世間ではあまり声高に言われない。

昔、ぼくらが子どもだったころ、交通戦争という言葉もあったくらい、自動車(特にダンプカー)は悪者だったはずなのだが、いまやエコカー減税と称して、お国も人殺しの道具を奨励している。おっと言い過ぎたかもしれないが、いつのまにか人間の歩いている道を占領してわがもの顔で走っているのをみるとついもう少し謙虚でいようよと言いたくなるのである。
 

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2010年08月13日 19:22に投稿されたエントリーのページです。

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