監督と常連の出演者で醸し出す特有の雰囲気というものがある。そういう映画は誰が観に行くのだろうか。やはり、“お仲間”が足をはこぶのだろうか。それは、予定調和の世界だから観る人に安心感をあたえ、相槌を打ちにくろのかもしれない。
「かもめ食堂」や「めがね」の荻上直子監督の「トイレット」を観る。この作品は、カナダで撮影されたもので、セリフも英語で日本語の字幕が付く。いつものもたいまさこだけが日本人の出演者で後は外国人である。それでも荻上ワールドは変わらない。
ひきこもりの兄とオタクの弟、そしてヘンテコリンの大学生の妹たちの母親がなくなるところから映画は始まる。ところがその家には、もたいまさこ扮する“ばあちゃん”と呼ばれる日本人の老人が同居している。“ばあちゃん”は英語もしゃべれないし、なぜそこにいるかも謎なのである。
そして、ばらばらだった兄弟たちが、徐々に“ばあちゃん”を媒介として絆を深めていくというストーリーである。言葉は通じなくとも心は通うというわけである。その間に、様々なエピソードがちりばめれていて、とくに今回も食べ物がアクセントになっている。
荻上作品では「かもめ食堂」はそのものずばりだが、「めがね」でも食べ物のシーンが楽しい。今回は、すしとギョーザである、みんで手作りのギョーザを作って食べるところなどは日本の家庭を思いださせる。
ところが、その他のちょっとした挿話がよくわからないものが多いのである。ミシンを持ち出すはまだいいかもしれないが、“ばあちゃん”がエアーギターにはまって、その影響で妹がエアーギター選手権に出場するというのは何なのだ。バスの停留所にいるサチ・パーカーはどういう意味なのだ。
それもそうだが、もっと不可解なのは、このばあちゃんはいったい何者なのかが最後まで明かされない。本当の祖母なのかもわからない。そして、毎回トイレを出るとため息が出るといってオタクの弟が職場の同僚のインド人に言うとそれは日本人だからウオシュレットがほしいからっだというといううのはどういうことだ。しかも、それがタイトルとは解せない。
やはり、ある程度説明的にやってもらわなくてはと思う。そこはお仲間だから察してでは困るのである。ぼくもそうだが、このサロンにどっぷり入れない人にとっては、仲間内だけで通じる“何となくわかる”空気感はあまり好きになれないのではないでしょうか。そういう意味でもうすこし丁寧にオーソドックスに撮ってほしかった。
