「日本企業に いま大切なこと」(野中郁次郎、遠藤功著 PHP新書)から自分なりに日本企業にいま大切なことを考えるシリーズの第三弾は“傷ついた日本の「暗黙知」と「現場力」“である。本では、前章で遠藤氏が「経験もないのに仮説なんか考えても意味がない。まずは現場に行って何かを感じてきなさい」と日ごろ若い人に言っているという話題から入っていきます。
野中氏も仮説とは身体的経験から生まれるものであって、論理的な分析から仮説を立てる人は、それが現実と合致しなかったとき現実のほうを否定しがちになると戒めています。しかし、ぼくはちょっとした違和感があって、すなわちこの場合の経験とは何かということ、仮説を立てようとしている領域での経験を言っているのかそうでないのかが気になるのである。
もし、対象領域だけで言っているとするとそれは違うのではないかと思う。仮説が経験値に縛られ発想が狭くなる危険があるように思うからである。つまり、誰でも何らかの形で経験を積んできているわけで、それがたとえ異った領域であっても貴重なあるいは有為な経験をしたことが重要であって、それができた人はどこでもよい仮説を立てられると思うのである。むしろ、越境の発想として良い結果を生むだろう。
ちょっと話がそれたが、野中氏はマイケルポーターの5フォースなどのような「科学的」な競争戦略からはイノベーションは生まれないと考える人が出てきたと言っている。そしてイノベーションは平凡な日常からしか生まれないとも言う。すなわち、理論に基づく論理分析で「正解」を導き出す演繹的な手法ではなく、個別の具体的な現実から出発し、間違いを恐れずに新しい理論をうちたてようとする帰納法を薦めています。
多くの発明や発見は、論理的な分析がもたらす形式知から生まれるものではなく、経験から得た深くて多様な暗黙知とビジョン達成の強い思いをもち、新たな関係性を考えぬくことから生まれるという。そこで日本の強さを発揮するべきなのだが、この暗黙知がだんだん失われて行くのを心配している。
ただ、大方は賛成なのだが、世界のソフトウエア業界などを眺めてみると経験から得た深くて多様な暗黙知とはあまり関係がなさそうに思える。むしろ、ぼくは日本人のコンセプト形成力のなさを痛感する。コンセプト形成力というのは演繹的に概念化する能力でそれがないために欧米のソフトウエアの後塵を拝していると思う。
遠藤氏は「現場力」の再強化を訴えている。トヨタのリコール問題を例にグローバル化に伴う品質問題を指摘しています。それを避けるために「体格」ばかり追求するのではなく「体質」で勝負することを心がけるべきだという。確かに、日本の現場力は昨年の大震災でも大いに発揮されたし、現場力が強い企業が結果的に生き残っているように思える。
ただ、同じことの繰り返しになるかもしれないのですが、現場力だけではダメでそれを空回りせずに有効に威力を発揮させるためには、「本部」力とか、科学的、論理的な態度もあってこそ可能なので忘れないでほしいと思うのである。
